2021年7月23日金曜日

懐かし動画回顧録ふたたび。 RS.TAKEDA

 


アールエスタケダは創業35年。創業当時からモータースポーツ活動を展開し、時代に合わせて挑戦を続けてきた。(上の写真はラリージャパン2004)そして今「ラリージャパン」がふたたび日本に戻ってきた。時代は繰り返し、カタチは変われど夢を追う気持ちに変わりはない。

創業時には動画を簡単にアップするとかは難しかったので、それほど古いものもないのだが個人的な「思い出」の動画をいくつかご覧いただきたい。


■大島誠司メカがスターレットでダートラ走行!
実に貴重である。アールエスタケダの大島メカは実はダートトライアルの選手であった。本人の名誉のために言うと、この動画は私を乗せて「人の車で」流して走っている動画である。競技中のものではないが、そもそも大島がモータースポーツの選手であったことを知る人はいまや少ない。




■2007年久万高原ラリー「無念のリタイヤ」
EK9シビックで全日本ラリーに参戦していたころ。快調にステージを重ねていた矢先に一瞬のシフトミスでエンジンを破損しリタイヤとなった。この日は2014年に全日本ジムカーナ選手権でシリーズチャンピオンを獲得した石原裕也選手がサービスクルーとして来てくれていて、これまた偶然にもリタイヤした直後のギャラリーステージで外撮りの動画を撮影してくれていた。石原選手の「あっ・・」という声がすべてを物語る思い出深い動画である。


■ハイパーミーティング2012新井選手のデモラン
アールエスタケダはつくばサーキットで開催された「ハイパーミーティング」に2003年から2014年まで皆勤賞で参加し、数多くのイベントでマシンを走らせた。午後から開催されたラリーカーでデモランを披露してくれた新井選手が目の前で八の字ターンを披露してくれた。




■WRCラリージャパン2010 札幌ドームSSS
アールエスタケダとして5回目のラリージャパン参戦の年。札幌ドームの中に特設されたスーパースペシャルステージ(SSS)での中村英一選手の走りである。ゴール直前にはリアバンパーがコンクリートの擁壁にあと10センチ!というところまで攻める。




■ラリーアメリカ参戦!コドライバー・キーランライト
全米ラリー選手権に参戦した際にコドライバーを務めてくれたプロコドライバー「キーラン・ライト」。ミシガン州ホートンにあるホテルの中で夜遅くにインタビューに答えてくれた。彼は日本人の私たちの活動を力強く支えてくれた、素晴らしい友人。いまでも感謝しかない。ラリーアメリカ挑戦の最後の年2015年には優勝を果たすことができた。アメリカの仲間たちとの日々はいまも大切な財産だ。(2013/MI.Houghton)







■池田・川島組TRDラリーチャレンジ2014年初優勝!
この日が池田・川島組のTRDラリーチャレンジ初参戦の日であった。佐賀県唐津市へ遠征し、現在はトヨタガズーレーシングラリーチャレンジとして開催が続いているこのシリーズへの記念すべき第一歩であった。初参戦で初優勝はいまでも良い思い出として心に残っている。





■全日本ジムカーナ2018福島 深川敬暢・優勝!
2017年の全日本ジムカーナ最終戦鈴鹿で初優勝を果たした深川敬暢選手は、翌2018年シリーズでは福島ヱビスサーキット、奈良の名阪スポーツラウンドで二連勝を果たす。2019年までアールエスタケダのサポート選手として長きにわたって活動してくれた。




■ラリーコドライバー「宮部ひろあき」
2003年からアールエスタケダのコドライバーとして活躍を続けてきた「宮部ひろあき」選手。2005年にはWRCラリージャパンでクラス優勝を果たし、全日本ラリーにも積極的に参加した。2007年当時にエヴァンゲリオンが好きな宮部選手のために私が制作した懐かしい動画だ。



これからもアールエスタケダをよろしくお願いいたします!








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