ムッソリーニ率いるファシスト党がイタリアを支配していた1930年代に開発が進んだこのエリアはローマ万博開催のために開かれた新しい街。第二次世界大戦勃発に伴ってローマ万博が開催されることはなかったが、その後このエリアはローマ万博の名前(頭文字)を取って「EUR」と呼ばれるようになった。
多くのオーディエンスを迎えて開催される最初のラリーディではこの地区にある PALAZZO DELLA CIVITA ITALIANA(イタリア文明宮)の正面でマシンが走る様子を間近で見ることができる。もちろん入場料は不要で、観戦エリア内ならどこでもラリーカーの走りを楽しめるのがイタリア風。ロマネスク様式を現代に体現する迫力ある建物には現在はイタリアを代表するブランドフェンディの本社が置かれている。
この印象的な建物は「四角いコロッセオ」とも呼ばれ、ローマの歴史を語るうえで欠かせないスポット。最初のステージを終えたラリーカーは、ここから東へ100キロ離れた温泉で有名な町フィウッジへ移動しパルクフェルメと呼ばれる保管エリアで翌朝から始まるステージに備え眠りにつく。
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