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2013年3月18日月曜日

ラリーアメリカ参戦紹介/ブログの翻訳が完了しました! Translation was completed.

イギリスのモータージャーナリストLeslie Marbonさんが、ラリーアメリカ終了後に書いてくださった記事の翻訳が完了しました。英文翻訳はアールエスタケダのお客様である古橋範雄様の全面的なご協力によるものです。古橋様、ほんとうにありがとうございました。


Reforcussing:Leslie Mabon,Words on Wheel
ラリーアメリカデビュー! ムラセの厳しい試練。

私はシビックタイプRで全日本ラリーに挑戦し、シリーズチャンピオンを獲得。スコットランドにいる私たちを唸らせた日本のラリードライバー「フトシ・ムラセ」について以前このブログに書いたことがある。

彼は全日本チャンピオンを獲得した翌年に三菱ランサーで全日本にスポット参戦したが、その後仕事の関係で米国に赴任、やむを得ずモータースポーツ活動を休止することになったのだ。



今年の初め、フトシがブログに私の記事をリンクしてくれたことに感謝して彼にメールを送ったところすぐにタイムリーな返信が来た。内容は2年間のアメリカ生活でラリーを再開したい気持ちがピークに達しており、ちょうどフォード・フォーカスのラリー車を買ってアメリカ国内のラリーに参戦をする計画を立てていたところだというのだ。2月末にミズーリ州で開催されるラリー100ACRE WOOD RALLYを皮切りに数戦に参戦を計画中だという。

その話を聞いてから私は数週間の間、フトシのブログをいつもチェックしていた。

彼のインディアナポリスの自宅ガレージに置かれた鮮やかな黄色のフォードフォーカス。配送されてきた競技用のパーツ類や勉強のために入手した昨年のラリーのペースノートの写真など。彼のブログを読むだけで、たいへんな苦労と努力をしているのであろうことが伝わってくる。



コ・ドライバーを務めるのは、フトシが今回購入した黄色のフォーカスでもコ・ドライバーとして活動していたアメリカ人のキーラン・ライト。彼は経験豊富な地元アメリカのコ・ドライバーだ。そして武田浩美(フトシのシビックとランサーを製作したアールエスタケダの社長)も今回のラリーのためにアメリカに行くという。

RALLY」は言葉や文化を超えた一種の言語であるといわれる。みなさんが世界のどこにラリーをしに行っても、そのラリーがフレンドリーで熱心なボランティアスタッフにより運営されていて、ラリーに熱い情熱を持つ人たちと出会うことで、その通りだと思うだろう。

しかしラリーは国や地域によってその形態やルールが多少異なっている。たとえば日本のラリーはほとんどが舗装路で行われるのに対して、アメリカのラリーは英国のそれと似た森の中の未舗装路(グラベル)で行われる傾向にある。使用される車も違いがあり、ラリーアメリカの写真ではこれまで見たことのないラリー車も多く見ることができた。アメリカのラリーに出るということはこのような文化的、言語的な違いや環境の相違からくる様々なプレッシャーを乗り越えなくてはならないということでもあるのだ。

ラリーから2年半離れていたフトシは、母国とはまったく異なる大陸で初めてペアを組むコ・ドライバーとともに初めてドライブするマシンでラリーに復帰することを選んだ。さらに不幸なことにラリー当日にミズーリを襲った悪天候が、コースを氷と雪で覆い尽くしていた。



今回のラリー100ACRE WOOD RALLYが、単にラリーであるからという理由でいままで参戦してきた全日本ラリーと同じかというとまったくそんなことはない。確かにラリーはラリーだがまったく別物であるといっても過言ではないだろう。




100AW RALLY Day1
ラリーウィークが始まると、私は自宅のコンピューターからウェブサイトをフォローした。ラリーアメリカの主催者はホームページ上でタイミングよくライブ情報を提供し、天候の情報もアップしてくれるので現地の状況がよくわかる。またアールエスタケダの社長もインターネット上にレビューや速報、さらにフトシのインタビューなどを次々と掲載していた。(そのほかアメリカ料理のレビューも掲載)

フトシは次から次へと襲い掛かる難題に全力で対応していた。そんな状況にも関わらず彼は一日の終わりにブログを更新し、ラリーの詳細や写真を掲載していた。

コンピューターの前でステージリザルトやタイムを見てやきもきしていても、現場にいるクルーやスタッフに比べれば辛いことはなにもない。しかし、こうしてウェブを見ていると突然「リタイヤ」の文字が現われるのではないかと心配するのも確かだ。



私が100ACRE WOOD RALLY初日開催日の遅い時間にサイトを見たとき、フトシ/キーランの39号車の2つのステージタイムが非常に遅くペナルティが課されているのに気付き緊張した。なにかのアクシデントに見舞われたのか?それともメカニカルトラブルか。私は過去に友人がラリー中に両方のトラブルに見舞われたのを見ているのですごく心配した。



しかし、ありがたいことにアールエスタケダのブログにビデオコメントがアップされていた。そこではフトシがステージ上でマシンがパンクしたことを説明している。これは厳しい試練だと。クルーはパンクでタイヤを失い、ステージ内でのタイヤ交換のためチェックポイントに戻るのが遅れたためペナルティが課されていたのだ。

それでも彼らは走り続けていた。これは彼がこのラリーで学び、ステージで経験を積むことが「まだできる」ということに他ならない。

ナイトステージのループをフトシは走っていた。もちろんナイトステージにも凍結した路面にも慣れる時間などまったく与えられていないが、日本の2WDチャンピオンは持てる力のすべてを発揮して走り続けていた。

普通の人間なら、このようなステージを3つこなせば疲れきって倒れてしまうだろう。しかしフトシは一息ついた後でビデオインタビューを受け、寝る前にラリーのレポートをアップするエネルギーを持ち続けていた。






100AW RALLY Day2
ラリー2日目は天候がわずかに改善したものの、ウエットグラベルに雪と氷の混じったステージの状況から厳しいコンディションであることは明らかだった。フトシのフォーカスはSS9で再びパンクし、SS11ではコースアウトによりアンダーボディを損傷した。(幸い、いずれも大きな問題にはならなかった)

私はコンピューターの前に張り付いて、武田さんのブログ更新を見続けていた。そして「サービスイン」「走行中」というタイトルを見るたびにほっとしていたのだ。

間違いなくこのラリーを見て英国の選手は「タフなラリーだ」というだろう。SS13ではRSタケダ/USUKラリー・フォーカスのエンジンは謎の不調に悩まされ5500RPMから吹き上がらなくなった。この問題はその後のサービスで解消できたようで、これがこのラリーでの最後のトラブルになった。

気温が上昇し路面に土が顔を出してきたため、後半のステージでタイヤを4輪ともグラベルタイヤにスイッチしたが、その後のナイトステージでは丘を越えた後の右コーナーのブレーキングポイントが凍結しておりマシンはあやうくコース外に転落しかける。しかし幸運にもクルーはこの危機的状況を生き残りサービスパークに戻ってくることができた。

様々なトラブルや困難を乗り越えてフトシ・ムラセは初めてのラリーアメリカを完走した。フトシ・キーラン組はラリー本部のあるセーレムの町に総合19位、クラス7位で帰還。総合優勝は英国人のデビッド・ヒギンスとクレイグ・ドルーのスバルインプレッサであったことも追記する。

しかしフトシにとってこれは単なる結果ではない。多くの初めての経験を得ることや、長いオフで鈍ったドライビングの感覚を戻すことのすべてを含めた新しいスタートに向けての第一歩を踏み出したに過ぎない。ネイティブスピーカーの読むペースノートに慣れ、シビックの高回転エンジンとは異なるフォード・フォーカスの特性を知ったことやアメリカのラリーのプロセスにじかに触れることで、多くを学ぶことができただろう。。

フトシ・ムラセのラリーアメリカ完走は日本でも報道されていた。Yahooニュースの更新記事の中でも取り上げられ、シーズン開幕に向けて準備する佐藤琢真選手の話題よりも優先されていた。日本のラリー関係のサイトでも同様に記事が掲載され、凍結したステージを走る非常に目立つフォーカスの写真が掲載されていた。


Stage view 02/19/2013


100ACRE WOODS RALLYはムラセの完走により、アールエスタケダのドライバーが完走したラリーの中でもっともタフなラリーとなった。新しいマシンと新しいクルー。初めての路面と国。しかし、イベント中にアップされた武田さんとムラセのツィートとブログからわかったことは、彼らを支えたのはアメリカのラリーコミュニティからの非常に暖かいサポートや励ましであったようだ。


ラリー競技はフットボールやフォーミュラー1のように一般の関心が高いとはいえないかもしれないが、参加者たちは世界のどこに行こうとも暖かく歓迎されることは保証できる。RSタケダ/USUKレーシングのリアに掲げるスローガンの通り、ラリーの世界は「互いに高めあおう!」 Be Excelent to Each Other なんと素晴らしい言葉ではないか。





Translator:古橋範雄
Editing:Hiromi Takeda







2013年2月16日土曜日

いざ、ラリーアメリカヘ。


全米ラリー選手権(Rally America)のラウンド2がいよいよ来週から開幕。

アールエスタケダラリーチームジャパンあらため「RS.TAKEDA Rally Team USA」の村瀬太のアメリカでのラリー参戦の始まりである。

100 Acre Wood Rally

ほとんどのフリータイムをマシンの準備に費やしてきた村瀬だが、なかなか準備は思うように進まない。言葉の壁も含め、異国で活動することは部品をひとつ頼むにしても容易ではない現実がそこにある。シェイクダウンにまでこぎつけるのがとにかくたいへん。

しかし幸いなことに、挑戦するのはラリー。

実際にレギュレーションを読み込んでみるとヨーロッパのラリー=我々が日本で参戦したラリージャパンとかアジパシとかとは微妙に異なる内容に気付く。それでもやっていることはSSラリーなのでなんとかなるはずだ。

いや何とかなる。


■RALLY AMERICA 100Acre Wood Rallyとは

アメリカのほぼ中央にある州、ミズーリ州で開催されるラリーが「100Acre Wood Rally」。これは日本語では「100エーカーの森ラリー」みたいな意味。100エーカーの森という表記は世界各地にあって、熊のプーさんが住んでいる森も100エーカーの森。大きさとしては東京ドーム9個分くらいの広大なフィールドがラリーの舞台となる。



実際にステージは広範囲の森のあちこちに用意されている。ステージの路面は火成岩の硬い地層に覆われており、フラットで掘れにくい。森の中はなだらかなアンジュレーションが多く、平坦な路面が少ないため3次元的な走りが要求されるだろう。

Stage Map/All SS

お客様用ステージマップ

今回村瀬はアメリカ人のキーラン・ライト氏にコ・ドライバーを依頼した。なにしろ完全なアウェイな中での初参戦である、アメリカ人クルーの参加は心強いものがある。とはいえ、日本での参戦とは体制が異なるため磐石の態勢にまでたどり着くのには時間が必要。

今回の参戦の目的はまず勉強。

コースを走ることには大きな問題は無い。問題なのは走る前と、走ったあとのこと。それでもやれば何とかなるというのはアールエスタケダラリーチームの伝統であり、先輩がたから教えていただいスピリッツでもある。

何度も言うが、挑戦するのはラリーである。
たぶん何とかなる。



■いざラリーアメリカへ

村瀬の住むインディアナポリスのグリーンズバーグからラリーHQ(ヘッドクォーター)のある町「セーレム」まではおよそ7時間。コ・ドライバーのキーランの自宅からは倍の14時間もかかる。我が国で言えば愛知県で開催される新城ラリーに仙台と宮崎から向かうような感じ。

すべてクルマで自走するのだから、この時点でお疲れ様である。おまけにアメリカはスピードの取締りが厳しい。半端ないくらい厳しい。だから安全運転で居眠り注意だ。

私は、ステージのあるミズーリ州デント郡の北東160キロにある町「セントルイス」からミズーリ入り。飛行機に乗っても13時間くらいかかるが、全日本ラリーのように13時間運転するわけではないのでずいぶん楽。そこからクルマでセーレムまで2時間。今回は私が一番楽チンなのだ。

日本のラリーの日程と異なるのは水曜に参加確認があり、木曜に車検とレッキ、ラリーは金曜~土曜日にかけて開催されるというところ。国土が広いため、日曜日は移動日として配慮されているのだろう。

木曜の車検はデント州の消防署をお借りして行われる。

今回は、日本ではなじみのないラリーアメリカの現状を視察に行く予定であったが、サービスクルーが不足しているので私は車検の担当になった。さらに村瀬が日頃使い慣れているマッドフラップの予備を日本から持っていくというエクストリームな役目も与えられた。

問題はあんな大きなフラップ材をどうやってかばんに入れるかだ。

クリックで拡大

サービスパークは2ヶ所あり、日ごとに移動を強いられる。なんか北のほうでやっているラリーに似てなくもない。

ラリーに詳しい人は「アイテナリー」というラリーのスケジュールシートをぜひ見て欲しい。走る距離は日本のラリーとあまり変わらないが、コースが違う。硬くフラットで3D。アールエスタケダの中村英一選手が大好きな路面だ。

アイテナリー

車両を保管する駐車場を「パルクフェルメ」というが、ラリーアメリカでは「パルクエクスポーズ」parc Exposeと呼んでいる。EXPOの名前からして、車両保管ではなく「車両展示」という風である。お客様にラリーカーをお披露目して、選手がサインしたりファン感謝イベントなんかもあるらしい。



特にラリーアメリカで有名なのは「ケンブロック」選手だろう。アメリカ人が大好きなど派手なパフォーマンスでPVを作成してYouTubeなんかでも膨大な閲覧数を記録している。彼は、この100Acre Wood Rallyで6連覇という偉業を達成している。敵にとって不足はない。




しかし今回の我々の目標は打倒ケンブロックではなく無事完走すること。今回に限り、挑戦状代わりにケンブロックにはサインをもらいに行くことにする。

日本人にはなじみのない「アメリカのラリー」その雰囲気だけでも現地からお伝えできればと、i-Pad一枚だけ持って、ミズーリへ行ってまいります。

お楽しみに!




2012 100 Acre Wood Rally Recap from Kristofer Yahner on Vimeo.














2015年10月2日金曜日

アメリカで日本人が勝利することの意味。 Rally America "Lake Speriol Performance Rally2015"


 前回のオジブェフォレストラリーで村瀬は、2WDクラスで2位のリザルトを残すことができた。けしてラリーをするに恵まれた状況ではなく、厳しい環境の中で得られた現状最高の結果だったと思う。

通常であれば環境を作るのはチームであり、選手は走ることに専念すべきである。しかしながら、アマチュアモータースポーツの世界では一人二役どころか三役も四役もこなさなくては競技に出場することすらままならないのが現実だ。



日本ではチームを主体とした活動を続けてきた村瀬にとってアメリカでの3年間は厳しい3年間であり多くを学んだ3年間でもあった。そして、その村瀬の挑戦はいま佳境を迎えようとしている。



10月16日から開幕する「レイクスペリオルパフォーマンスラリー」。アメリカの北部ミシガン州で開催されるこのラリーは全米ラリー選手権のファイナルラウンドであり、「アメリカで最も美しい」と評されるミシガンアッパーペニンシュラの風光明媚な景色の中を駆け抜ける素晴らしいラリーである。




Houghton city cetre
ラリーのヘッドクォーターが置かれているのはミシガン州ホートン(Houghton)という小さな町だ。眼前には運河が流れ、朝夕には水鳥やトラウトがにぎやかに水面を彩る。この時期、秋を迎えたホートンは赤や黄色の美しい紅葉に町全体が包まれる。

ラリーの名前にある「スペリオル」とはこの地域の北部に位置する五大湖の一つスペリオル湖のことを指すのだが、日本列島がおさまってしまうような巨大さゆえ、地上からその全体を感じるのは難しい。



AM5:30 Houghton

アールエスタケダラリーチームジャパンは村瀬選手の「プライベーター」としての活動を日本から支援し、応援してきた。そして今回でおそらく最後になるであろう村瀬のアメリカでの活動を記録し、現場で支援するため我々は日本からアメリカへ飛ぶことになった。

ミシガン入りするのは武田と光崎フォトサービスのカメラマン光崎満の二名。村瀬のラリーをサポートしてくれるホンダ・オブ・アメリカ インディアナLLCの精鋭たちもラリーウィークにミシガン入りすることになっている。




単身頑張ってきた村瀬だが、今回は少し様相が違う。

日本において村瀬の活動を支援してくれていた有力メーカーが「アメリカで勝つため」に全力を投入してくれている。ビルシュタインダンパーのチューナーであり、モータースポーツの世界ではその名を知らぬものもない「エナペタル」がラリーアメリカ専用のスペシャルメイドダンパーを提供。そしてブレーキパッドは株式会社ブロンコバスター(BRIG)がラリーアメリカ用のブレーキパッドを開発し提供してくれている。

アシとブレーキ。ある程度走れるドライバーなら誰でも分かる重要な部分を、最高に安心できるパーツにスイッチしたことは選手にとって大きなアドバンテージだろう。

さらに駆動系はトランスミッションアッシーを日本国内で製作。こちらも長年に渡って支援をいただいているキャロッセ(クスコ)製のLSDにスワップした。



そしてエンジンコントロールユニットは、ホンダ・オブ・アメリカ インディアナLLCの優秀なエンジニアによってさらにパワフルな制御を得ることになる。

これまでにない充実した体制で迎えるラリーアメリカ最終戦「レイクスペリオル・パフォーマンスラリー」。もちろん日本国内で勝つことにも大きな意味があるが、外国人として異国の地において勝利することには別の意味がある。ほかのスポーツ選手においてもそれは同じで、個人の勝敗に終わらず日本という国を代表して戦うという意味合いを持つからだ。

その気持ちを受け止めて戦おうではないか。

全米選手権を制することは、エナペタルが、クスコが、BRIGがアメリカで勝利することであり、我々日本人の技術の勝利でもある。日本人として戦えることに誇りと喜びをもって最終戦に挑もう。

村瀬選手にぜひとも皆さんの応援をよろしくお願いします。





みなさまからのお言葉が力になります







surpporters










2013年8月12日月曜日

ラリーアメリカ、次戦はミシガン州スペリオル湖へ。

ラリーアメリカ次回の挑戦は、ミシガン州の北部にある町ホートンを起点に開催されるイベント「レイク・スペリオル パフォーマンスラリー」に決定しました。ラリーアメリカ一年の最後を締めくくるラリーとして、難易度の高いグラベルコースが用意されています。




ヘッドクォーターが置かれている「Houghton」の町は、アメリカ五大湖のひとつスペリオル湖に突き出した半島のつけ根にある自然豊かな町。カナダとの国境に近いため、ラリーウィークの10月後半には降雪が見られることも。




今回もコ・ドライバーにアメリカ人のKieran Wright氏を迎え、フォードフォーカスを使用しての参戦となります。100Acre Wood Rallyでははじめてのことばかりで戸惑いを隠せませんでしたが、今回は少しでも上位に食い込めるよう可能な限りの準備をしていきたいと思います。


前回はフィーリングがつかめず苦労したブレーキに関しては、BRIGブランドでおなじみのブロンコバスター様よりラリーアメリカスペシャルともいえる特別なブレーキパッドを製作しご準備いただけるとのことで、より安心してステージに挑むことが可能になりました。

さらに日本人初のアメリカラリー選手権へのご協賛をお申し出いただける企業にも恵まれ、嬉しい限りです。

お時間が許せば、ぜひ皆様もミシガン州ホートンまでラリーアメリカの観戦に起こしください。










2014年8月18日月曜日

ラリーアメリカ OJIBWE FOREST Rally2014



ラリーアメリカ「OJIBWE FOREST Rally」の開催が今週末に迫りました。

アールエスタケダラリーチームUSAで孤軍奮闘する村瀬太選手。
昨年よりこの選手権への挑戦を開始しています。

アールエスタケダは村瀬選手の全米ラリー参戦を支援し、その活動を記録しています。
日本からは私も含めてサービス2名がアメリカ合衆国ミネソタ州へ飛びラリーアメリカを戦います。ラリーの日程や詳細については村瀬選手のブログから転載しますのでご一読ください。





ラリー本部が置かれるHolidayInn DetroitLakes


既報の通り、8月22日から23日に行われる、ラリーアメリカ第6戦、Ojibwe Forest Rallyに参戦します。
今回のラリーの全容が分かりました。 

Ojibwe Forest Rally

今回、我々クルーは諸事情により、Regional Championshipにエントリーしました。 
と言う事で、2600cc以下無過給2WD車によって争われる、 

G2クラス 

にエントリーしています。 

Regional Championshipは、National Championshipの全行程を2つのラリーに分け、 
それぞれ、 

Paul Bunyan's Ride 
10000 Lakes Rally 

の2つのラリーとして争われます。 
Rally America Central Regional Championshipの中の1戦となります。 
我々は両方のラリーにエントリーしています。 

木曜日にレキ・車検のあと、National Championship組はSSS(スーパースペシャルステージ)を2本こなしますが、 我々Regional組は金曜日から競技がスタートします。 
Detroit Lakesのダウンタウンで15時からパルクエクスポーズの後、1号車は16時半にスタート。
我々は17時位でしょうか。 
SSを7本、66.4マイルこなしてDay1終了。 
日没は20時半(!)位なので、半分くらいはナイトステージです。 


土曜日は本ラリー最長の21.5マイルのSSを2本含む、トータルSS距離70マイルの戦いです。 
21.5マイルのSS12とSS14は、今まで経験したラリーの中で最も長い距離のステージになります。 
21.5マイルですから、34kmですか。長いですね。 
土曜日の20時位に、Detroit Lakesにゴールします。 

2日間の合計SS距離は136マイル(約218km)で、全日本ラリー最長のラリー北海道並みです。 


今回はアメリカ人2名、日本人2名の心強いバックアップを頂ける予定になっています。 
我々アメリカ組は水曜日から移動を開始し、13時間以上の移動を経て、日付が変わった木曜深夜に現地入りする予定です。 日本組は一足早く、水曜夕方から夜にかけて現地入りする計画です。 

NO RALLY NO LIFE より転載






今週は現地よりこのブログを通じてラリーの様子をリアルタイムでレポートします。
お楽しみに!









2015年5月26日火曜日

村瀬太選手のトークライブを開催。


アールエスタケダのラリードライバー村瀬太選手が新店舗でトークライブを開催します。

一昨年から参戦を続ける全米ラリー選手権「ラリーアメリカ」。日本人選手としてラリーアメリカに初めて挑戦した村瀬選手。いまだから話せるラリーアメリカ参戦秘話をたっぷりお聞きいただけます。


開催日:2015年6月6日(土)
時間:PM1:00~PM2:00
会場:アールエスタケダ MAP
〒468-0013 愛知県名古屋市天白区荒池2-1315


村瀬太選手トークライブ

1.ラリーアメリカ挑戦のきっかけ

2.日本人に初めて発行されたラリーアメリカライセンス

3.エントリーまでの苦労の日々

4.アメリカと日本、ラリーの違い

5.今年のラリーアメリカ参戦計画

6.歓談タイム


多くの皆様のご来場をお待ちしています。














2013年10月1日火曜日

次はラリーアメリカ。

ラリー北海道の参戦が終わった。

今回は20歳の若いドライバー辻寛司選手にとって始めて尽くしのラリーだった。もちろんインターラリークラスのラリーは初めてだし、グラベルラリーも初めて!そもそも飛行機に乗ってラリーをしに行ったのも初めてだったし、自分の車ではない車に乗って走ったのも初めてだ(自分の車はちょっと前に壊した)。

ついでに今回のようなビッグラリーを無事に完走できたのも初めてだ。

左:辻 寛司    右:宮部ひろあき

ベテランコドライバー宮部ひろあきのサポートも大きかったが、辻が自分をコントロールできたのが、完走できた最も大きな要因だろう。ルーキーの辻にとって、ラリー北海道のすべてのステージを走りきることはかけがえのない大きな経験になる。

辻の通う「日産愛知自動車大学校」の友人たちからも祝福を受ける

会社としては、スターレットという小さなマシンではあったが壊さないで帰ってきてくれたことにとても感謝している。次の機会に使えるし。


■Rally America LSPR

今月の16日からミシガンで始まるラリーアメリカ。9月-10月は、ラリー北海道~ミシガン~新城ラリーと続くラリー月間だ。


村瀬選手のプロフィールがラリーアメリカのホームページに掲載されていた。ようやくラリーアメリカの選手の一人として認められたような感じで嬉しい。


 Rally America/Driver 


ミシガンで開催されるラリーアメリカ最終戦の観戦をご希望の方はアールエスタケダまでご一報ください。








2013年10月13日日曜日

いざ、ラリーアメリカ最終戦へ! LSPR2013


今週は全日本ジムカーナの最終戦が富山で開催されスイフトの石原選手、BRZの深川選手ともにポイントを獲得することができた。




来週末にはラリーアメリカの最終戦「レイクスペリオル・パフォーマンスラリー」が開幕する。世界のモータースポーツシーズンも大詰めだ。

全米ラリー選手権は、金曜日~土曜日にかけてラリーを開催し日曜日は移動日に充てられる。広い国土を持つアメリカならではのスケジュールだと言えよう。今回のラリーはスペシャルステージの距離が200キロ近くあるグラベル(未舗装路)を走るラリー。

ハイスピードなロングステージは先日開催されたラリー北海道に似る。

レイクスペリオルパフォーマンスラリーのコースは起伏に富み、三次元の走りを学ぶのにもってこいである。前回の「100エーカーの森ラリー」(100AW Rally)では雹と凍結路面に悩まされ、思うような走りができなかっただけに今回のステージにかける村瀬選手の思いはひとしおだろう。



村瀬と同じグループ2にエントリーする選手は9台。海外からも多くの有望選手が参戦する激戦クラス。そんな中で完走はもちろんのことだが、限りなく上位を目指して走りきるのも悪くない。ここでかんたんにラリーのスケジュールとコースについて書いておこう。


私は16日(水)からシカゴ経由でミシガン入り。今回のサービス隊は地元アメリカからベテラン2名にお力添えをいただけることになったので、とても心強い。



■10月18日(金)
Rally Day1
ラリー初日。サービスパークはラリー本部のあるHoughtonから南に50キロ離れた L'ance(ランズ)という港町にある高校の駐車場だ。

ラリースタートは昼の12時30分から。

SS1:Green Acres 1.74マイル(2.8キロ)
サービス1回目 10分間 コッパーカントリーモール

SS2:Green Acres 1.74マイル(2.8キロ)
SS3:Menga Creek South 7.03マイル(11.25キロ)
サービス2回目 30分間 コビントン

SS4:PassMore 17.02マイル(27.2キロ)
SS5:Far Point  12.00マイル(19.2キロ)
サービス3回目 30分間 コビントン



SS6:PassMore2 17.02マイル(27.2キロ)
SS7:Far Point2  12.00マイル(19.2キロ)
サービス4回目 10分間 コビントン

SS8:Menga Creek North 7.12マイル(11.4キロ)


すべての走行が終了するのは深夜の12:00になります。
ナイト&ロングステージのあるこの日が勝負どころか。

それにしてもラリーアメリカはサービスの回数が多くてクルーは安心。日本のラリーのペースに慣れていると行ったり来たりが多くて忙しくもあるが。



■10月19日(土)
Rally Day2

二日目は昨日の港町ランズの海沿いにラリーカーを並べてラリーショーを行います。




スタートは8時30分からと早めです。 

SS9:Menga 7.03マイル(11.25キロ)
SS10:Baraga Plains 4.49マイル(7.2キロ)

サービス5回目 15分間 ランズ 

SS11:Arvon Tower  4.02マイル(6.43キロ)
SS12:Herman  7.19マイル(11.5キロ)
サービス6回目 30分間 ランズ


SS13:Menga2 7.03マイル(11.25キロ)
SS14:Baraga Plains2   4.49マイル(7.2キロ)
サービス7回目 15分間 ランズ

SS15:Arvon Tower2  4.02マイル(6.43キロ)
SS16:Herman2  7.19マイル(11.5キロ)




※開催中の詳しい情報はこのブログで毎日配信いたします。











2013年5月16日木曜日

言葉は思いがけないつながりを・・・(後編)  by Leslie Mabon from UK

※この文章は英国人のジャーナリスト、レスリー・メイボーンさんによって書かれたブログを日本語に翻訳したものです。村瀬選手やアールエスタケダとの出会いについて書いてくださいました。レスリーさん、ありがとうございました。

原文はこちらから

後編・・・・

村瀬から熱いメッセージが返ってきたのは、いまからちょうど三年前のことだ。全日本チャンピオンを獲得してからまもなく彼は社命によりアメリカのインディアナポリスに転勤、ラリー活動を中断していた。


私が自分の職場で村瀬の成功について話をしていると、疑い深い同僚が本当に村瀬が2009年のチャンピオンなのかをwebで検索し始めた。さらに、そのことについての英語での最初の記事が、私が書いたものだったことを知り驚きながらこう言った。「彼はミハエル・シューマッハなみに有名だよ!」


運のいいことに、私が再び彼に連絡を取ったとき村瀬はアメリカでラリー車を手に入れ再びラリードライバーとしてのキャリアを再開するところであった。



彼は鮮やかなイエローカラーのフォードフォーカスを手に入れ、2013年2月にミズーリ州で開催される「100エーカー・ウッド・ラリー」を皮切りにアメリカラリー選手権(ラリーアメリカ)にスポット参戦を計画しているという。いくつかの問題をクリアできれば、近い将来ヨーロッパでラリーに参戦することも視野に入れているようだ。

彼のドライバーとしての情熱は衰えるどころか、ますますヒートアップしていた。ラリードライバーとしてのキャリアを積むことへの熱い情熱は何も変わっていなかったのだ。



我々が海を越えて出会ってから、いろいろな出来事があった。

村瀬はアメリカに行き、アールエスタケダは白・緑・ライブイエローに彩られたスバルBRZで全日本選手権への挑戦を開始した。私はこうして物書きとしての日々を過ごしている。

このあとの3年間で何が起こるかは誰にもわからないが、佐藤琢磨選手が日本人初のインディ500ウィナーになったのに続いて、村瀬がアメリカで最初に全米ラリーで優勝する日本人のドライバーになる日が来るかもしれない。


Leslie Mabon: Words on Wheels

Translator;Dr.Norio Furuhashi
Facebook









2015年9月26日土曜日

エナペタルがラリーアメリカへ参戦!


アールエスタケダのモータースポーツパートナーとして長きにわたりご支援をいただいているエナペタル社製のダンパーがラリーアメリカ「レイクスペリオルオパフォーマンスラリー」に投入されることになった。


前回ステージ中にシャフトの折損を喫したHotBits製のダンパーをアメリカから空輸しエナペタルで徹底的に分析。全米ラリー選手権特有のステージに合わせたスペシャルメイドのダンパーを新規製作した。駆動輪の路面への追従性を高め50㎜の倒立ピストンで、ジャンプの多い3Dコースに対応できる高い剛性を確保する。

全米選手権に村瀬のチームが投入した日本のパーツは数多い。アメリカでは入手しにくく、なによりドライバーが安心して走れるパーツだというのは大きい。

DUNLOP SP87R 
ENNNEPETAL
CUSCO LSD
SWIFT COIL SPRING


ラリーアメリカ最終戦はいよいよ10月16日に迫った。村瀬のアメリカでの挑戦は佳境を迎える。











2021年7月23日金曜日

懐かし動画回顧録ふたたび。 RS.TAKEDA

 


アールエスタケダは創業35年。創業当時からモータースポーツ活動を展開し、時代に合わせて挑戦を続けてきた。(上の写真はラリージャパン2004)そして今「ラリージャパン」がふたたび日本に戻ってきた。時代は繰り返し、カタチは変われど夢を追う気持ちに変わりはない。

創業時には動画を簡単にアップするとかは難しかったので、それほど古いものもないのだが個人的な「思い出」の動画をいくつかご覧いただきたい。


■大島誠司メカがスターレットでダートラ走行!
実に貴重である。アールエスタケダの大島メカは実はダートトライアルの選手であった。本人の名誉のために言うと、この動画は私を乗せて「人の車で」流して走っている動画である。競技中のものではないが、そもそも大島がモータースポーツの選手であったことを知る人はいまや少ない。




■2007年久万高原ラリー「無念のリタイヤ」
EK9シビックで全日本ラリーに参戦していたころ。快調にステージを重ねていた矢先に一瞬のシフトミスでエンジンを破損しリタイヤとなった。この日は2014年に全日本ジムカーナ選手権でシリーズチャンピオンを獲得した石原裕也選手がサービスクルーとして来てくれていて、これまた偶然にもリタイヤした直後のギャラリーステージで外撮りの動画を撮影してくれていた。石原選手の「あっ・・」という声がすべてを物語る思い出深い動画である。


■ハイパーミーティング2012新井選手のデモラン
アールエスタケダはつくばサーキットで開催された「ハイパーミーティング」に2003年から2014年まで皆勤賞で参加し、数多くのイベントでマシンを走らせた。午後から開催されたラリーカーでデモランを披露してくれた新井選手が目の前で八の字ターンを披露してくれた。




■WRCラリージャパン2010 札幌ドームSSS
アールエスタケダとして5回目のラリージャパン参戦の年。札幌ドームの中に特設されたスーパースペシャルステージ(SSS)での中村英一選手の走りである。ゴール直前にはリアバンパーがコンクリートの擁壁にあと10センチ!というところまで攻める。




■ラリーアメリカ参戦!コドライバー・キーランライト
全米ラリー選手権に参戦した際にコドライバーを務めてくれたプロコドライバー「キーラン・ライト」。ミシガン州ホートンにあるホテルの中で夜遅くにインタビューに答えてくれた。彼は日本人の私たちの活動を力強く支えてくれた、素晴らしい友人。いまでも感謝しかない。ラリーアメリカ挑戦の最後の年2015年には優勝を果たすことができた。アメリカの仲間たちとの日々はいまも大切な財産だ。(2013/MI.Houghton)







■池田・川島組TRDラリーチャレンジ2014年初優勝!
この日が池田・川島組のTRDラリーチャレンジ初参戦の日であった。佐賀県唐津市へ遠征し、現在はトヨタガズーレーシングラリーチャレンジとして開催が続いているこのシリーズへの記念すべき第一歩であった。初参戦で初優勝はいまでも良い思い出として心に残っている。





■全日本ジムカーナ2018福島 深川敬暢・優勝!
2017年の全日本ジムカーナ最終戦鈴鹿で初優勝を果たした深川敬暢選手は、翌2018年シリーズでは福島ヱビスサーキット、奈良の名阪スポーツラウンドで二連勝を果たす。2019年までアールエスタケダのサポート選手として長きにわたって活動してくれた。




■ラリーコドライバー「宮部ひろあき」
2003年からアールエスタケダのコドライバーとして活躍を続けてきた「宮部ひろあき」選手。2005年にはWRCラリージャパンでクラス優勝を果たし、全日本ラリーにも積極的に参加した。2007年当時にエヴァンゲリオンが好きな宮部選手のために私が制作した懐かしい動画だ。



これからもアールエスタケダをよろしくお願いいたします!